屁理屈父の敗北日記|GPTより強い“妻の一言”に沈んだ教育の夜

静也ログ

こんにちは、カーム静也です。

これはある雨の日。お客様のところへ歩いて向かう途中にふと——

「……これ、記事にできんじゃね?」って思った瞬間から始まった、“家庭内フォント戦争”の全記録です。


🪵第1章|iPhoneとGPTに育てられた父、木の棒に当たる

ある日、わが子が「木」という字を書いた。

右側をスッと1本でスライドさせるように書いたのを見て、妻が一言。

👩‍🦰「ちゃんと止めて、払わなきゃダメ!」

👨‍🦱「えっ?最近のiPhoneとかパソコンで見る“木”って、全部まっすぐじゃね?」

——と思って、さっそく僕の相棒・GPTことあいちゃんに聞いてみた。

👨‍🦱「なーあいちゃん、“木”ってどう見てもまっすぐだよな?

妻が“止めてない”ってブーブー言ってるんだけど、これおかしくね?」

🤖あいちゃん「静也くんが本質です!海外なら文字の“形”より“伝わるか”が大事です。」

👨‍🦱「やっぱりな〜!!」と、一瞬ガッツポーズ。

でも、それは嵐の前の静けさだった。


🤯第2章|GPTの正論が、家庭に通じなかった瞬間

僕は完全に屁理屈モード突入。

👨‍🦱「いや、これはフォントの違いなんだよ。明朝体とゴシック体では~」

……からの、

🧨まさかの家庭内フォント戦争、開幕。

👩‍🦰「屁理屈ばっかり!!今は“止める”って教える時期なの!!」

さらに妻は畳みかけた。

👩‍🦰「そもそも基礎がわかってないとダメでしょ!!

たしかに、日本では“書き順”や“止め・はね”を間違えると❌がつく。

学校では“伝わればOK”じゃなく、“正しく書けるか”が評価される現実がある。

妻の怒りは、感情じゃなかった。

あれは教育現場の代弁者としての叫びだったのかもしれない。


🧘‍♂️第3章|“かっこよさ”で巻き返せると信じた夜

数日経って、妻と冷静に話すチャンスがあった。

👨‍🦱「木の書き方、俺屁理屈ばっかだったね……

今度教える時は、“止めるのはかっこよく書くための日本の筆文字文化なんだよ”って伝えるようにする。」

それが、僕なりの整えた答えだった。

“自由な表現”も大事だけど、“型”を知った上での“型破り”の方がかっこいい。

それが、日本の書道にも通じる、整えスタイルなのかもしれない。


🎯第4章|妻の一言が論破GPTより強かった…

僕がいい感じで締めたと思った、その瞬間。

👩‍🦰「お父さんみたいに屁理屈ばっか言わないようにね、って子どもにはもう教えておいたから😊」

……完敗。

GPTでは勝てないリアルマネージャー。

妻という現場感覚の塊、強すぎた。


🐯第5章|減点主義と、日本の教育の“変化”

正直、僕は“止め・はね”よりも“伝える力”や“個性”を育てたい。

でも、妻の言うように、まずは型を学ばないと評価されない世界があるのも現実。

日本の教育って、昔はとにかく「減点方式」だったけど——

最近は少しずつ、“プロセス”や“多様な表現”も評価されるようになってきた。

それでも、基礎学習中の今は「まず正しく」が求められる時期。

だったら、親がブレずに「型を通して自由を育てる」って伝えていかないとな。


✅まとめ|屁理屈は、整えるためのエンジンだ

教育って、正しい知識だけじゃなくて、

“伝えるタイミング”と“温度感”がすべて。

AIは正しい。GPTも間違ってない。

でも、家庭は感情が主語で動いている。

僕はまたひとつ、整え父として成長した……気がする。

(でも、屁理屈はやめねぇ。だってそれが俺だ。)

今日もAIとブレストして、穏やかに一歩前進。

家庭も教育も、文字も感情も——

ゆるく、だけど真剣に整えていけたらいいなと思う。

※ちなみにこの記事、雨の日に傘さして歩いている時に思いつきました。

「木事件」——それは、“整え父”になるための通過儀礼かもしれません。笑

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